長崎県(カステラ・皿うどん県)

長崎県は肥前国の西半分と壱岐、対馬からなっており、入り口が狭く深い湾の奥に位置する佐世保はかつて軍港として栄えました。現在でも米軍や海上自衛隊の主要な基地となっています。

 

その佐世保の「ハウステンボス」はオランダをテーマにひとつの都市をつくろうというもの。しかし、本物のオランダのどんより曇った空と寂しい鉛色の北海のかわりに青い空と海があります。それに、どうしようもないアンチ・グルメの国オランダと違ってハウステンボスには日本最高クラスのフレンチ・レストランまであります。

 

アジアとの連携をめざす九州にとってナガサキのハウステンボスはその観光の目玉となりつつあります。この事業の総帥は神近義邦氏。もっとも意欲的で好奇心旺盛な実業家です。

 

佐世保周辺には、松島をもっとダイナミックにしたように島々が美しい海に浮かぶ九十九島、佐世保と長崎を最短距離で結ぶため針尾の瀬戸を水面から43メートルという高さで渡すアーチ型の西海橋、南蛮文化のムードをいまにとどめる城下町平戸など第一級の観光スポットが多く存在します。

 

島原半島はキリシタンと温泉で知られています。雲仙は気候温暖な保養地として、アジア各地の欧米人の保養地として知られた時代があり、ここのゴルフ場は六甲山のものにつぎ日本で2番目に古いものです。

 

この雲仙火山群のひとつ普賢岳が噴火して火砕流が東の海側に流れ出し大きな被害を出したことを覚えている方も多いのではないでしょうか。島原市は静かな城下町で、破風がいっさいないすっきりしたデザインの五重天守閣が復元されています。

 

長崎県は島の多い県で4139キロという海岸線の長さは全国で最大。もっとも壱岐、対馬については本当は福岡にいくのが交通の便も便利、対馬藩は朝鮮外交に特別な役割をもち、立場を使い分けながら両国の調整に当たりました。

 

とくに、江戸中期の対馬藩士で近江国高月町出身の雨森芳洲は「誠心外交」の原則のもと、威圧的な姿勢をとりたがる新井白石と対抗し朝鮮側の信頼を得て、ノテウ大統領が来日したときの国会での演説でとりあげて知られるようになりました。壱岐のほうは平坦で長崎県でもっとも大きな平野です。良質の麦焼酎が名産。

 

長崎の人は、大きな藩がなく海外との交流も盛んだったことから九州男児的な雰囲気とはひと味違っています。開放的であくせくしていません。

 

キリスト教信者の割合が全国一なのは歴史的事情で納得できます。海を通じていろいろな民族との往来も多かったためか、エキゾティックな風貌の人も少なくありません。

 

長崎県出身者を代表する文化人は作家の村上龍氏と歌手のさだまさし氏に演劇の野田秀樹氏。さだまさし氏の「精霊流し」は「長崎は今日も雨だった」と並ぶご当地ソングになっています。